2000年9月7日
著作権法は、日本の基本的な法律の中でも法律上の論争が最も少ない法律のひとつである。
それが、著作権法の正体を一層分かりにくくさせている。なぜなら、法律のイデオロギー性格は、そのことが語られない時にこそ最も有効に機能しているものだから。
しかし、著作権法の正体は、別の方面から明らかにされるであろう。それが「著作権法の過去=起源」である。
亡くなった作家の後藤明生は、「小説の未来は小説の過去にある」と言っていた。
これと同じような意味で、著作権法の未来を知り、未来を形成するためには、著作権法の過去に遡ってみる必要がある。
そこで、もっか、このことに最も精力的に取り組んだ学者阿部浩二氏の文献によると、
著作権は、
①一方で、もともと著作者を保護するために生まれたものではなく、著作者が創作した作品を世に提供する出版業者が自分たちの独占的な出版活動を正当化するための根拠として認められるようになったものである。
②また他方で、芸術・文化の保護育成のために生まれたものではなく、あくまでも、コンテンツの大量複製を可能にしたテクノロジーを用いた産業経済秩序を維持するためのものである。
つまり、
①.グーテンベルクの印刷術の発明以後、出版業者は最初、自分たちの独占的な出版活動を正当化するために、国王より印刷・出版の独占を保障される出版特権という制度を活用した。然るに、その後、こうした特権を享受する既存の出版業者に対し、これを持たない後発の出版業者たちから、何ゆえ彼らだけがこうした既得権を享受できるのか?といった異議申立てが出され、両者の間に抗争が生ずるに至る中で、その結果、出版の独占を正当化する根拠として、これまでの国王から与えられる出版特権に代わって、新しく、著作者から著作権(当時は精神的所有権と言った)を譲り受けているからだという説明が唱えられるに至ったのである。すなわち、著作権制度というのは、もともとコンテンツを大量複製して一般ユーザーに提供して商売をする出版業者の独占的な経済活動を保障するために、それを正当化する大義名分として用いられるに至ったものである(阿部浩二「著作権の形成とその変遷」)。
* 注2
なぜ、こうもきっぱりと、「著作権法は、著作者の権利保護のための法律ではない(より正確には、法律になっていない)」と言われてしまうのか?
→その端的な理由:契約に関する規定がない、つまり、著作権に関する契約において、弱者たる個人の著作者を保護するための条文が全く欠落しているから。
ほかの法律にたとえて言えば、雇用関係についてなら労働者を守るための労働基準法、借地借家関係なら借主を守るための借地法・借家法、消費関係なら消費者を守るための消費者保護法といった法律によって、強者と弱者間の契約関係において両者ができるだけ対等な関係になるように様々な規制を設けている。ところが著作権法では、毎年、これだけ法改正の実績がありながら、企業優位の契約関係の是正ををまともにやった改正は1回もない。いつも忙しくそうにいろいろな改正をやっているが、しかし、強者と弱者の当事者間の契約関係に実質的な平等を実現し、著作者・実演家の立場を守るような改正をしてきたことは全然ない。
だから、著作者の権利保護のための法律ではないと言われてもしょうがない。
それどころか反対に、こともあろうに契約における強者擁護の条文(著作権法29条・ワンチャンス主義)すら置いている有り様なのだから。
そして、「文化の発展に寄与する」として著作権法を管理する文化庁が文化の創造主である著作者を守らない現在、どこが経済的弱者の著作者を守ろうとしているのか。それは公正取引委員会である。公正取引委員会が管理する下請法(>その概要)、これが著作者を守っている。しかし、著作者は下請けという文化の香りも何もない、経済的力関係むき出しの法律の中で、かろうじて守られている。ここに日本の文化的貧者丸出しの実態がある。