2021年8月23日月曜日

311から十年、新米法律家のスタート(2021.8.22)

                   「民法の神様」とうたわれた民法学者我妻栄

                 法解釈の方法論を探求した我妻栄29の論文

 昨年(2020年)3月25日、福島県が自主避難者に、彼らの避難先である国家公務員宿舎から出て行けという訴えを福島地裁に起し、その第1回目の裁判が今年(2021年)5月にありました。縁あって、私も、この裁判に弁護団の1人として参加することになり、その準備の過程で、
福島県の追出しには理由がないこと、むしろ国際人権法に照らした時、それは避難者の居住権の侵害であること
を正面から主張する書面を7月8日に作成、提出しました(その報告は->こちら)。


私はもともと「法律の極意はコモンセンスにある、条文なんて要らない確信する、徹底してアナーキーな人間です。しかし、今回、このスタンスを自ら封印し、それとは正反対の道、徹底して保守本流の法律家たちがやる条文の解釈技術にこだわり、これを具体化、血肉化する作業に専念し、
この書面を完成したとき、初めて自分が法律家になった理由が分かったような気がしました。

私はもともと文学志望で、その自信が持てないという理由で、デモシカで法学部を選んだようないい加減極まりない人間です。司法試験の勉強をしたのも、たまたま一緒にいた仲間がこぞって司法試験を受けるというので、ただ、彼らとつき合いを続けたい一念で、ずるずると受験生の仲間入りをした人間です。
そのため、司法試験の長いトンネルを抜けて、合格した時、このあと、自分は何をしたらよいか、さっぱり分からず、思案に暮れました。以来ずっと、自分が法律家になってしまった意味が分からず、水面下で自問自答する日々でした。
それが40年後にようやく、お前は、この書面を書くために法律家になったんだ、と避難者追出し訴訟の主張書面を書きながら、そう実感しました。

311以後、司法の世界もまた、日本の政治社会と同様、「国破れて山河あり」の惨憺たる状態が続きましたが、この暴走を食い止めるためには、その方法として
新しい酒(福島原発事故)は新しい革袋に盛る
これをやるしかないことは分かっていたものの、いざ、現実の「避難者追出し」裁判に参加した時、どうやってこの未曾有の新しい酒を新しい革袋に盛ったらいいのか、その具体的な方法が分からず、暗中模索の日々でした。
その暗闇の中で、国際人権法という世界を知った時、その新しさに衝撃を受けたと当時に、にもかかわらず、このままでは、単なる国際政治、国際外交、国際市民運動のレベルにとどまり、司法の世界に正面玄関から堂々と登場するのはそう容易なことではないと思い知らされました。
そこで、再び暗中模索の中で、米沢が生んだ日本最高の法学者の1人我妻栄ら保守本流の法律家が唱える法律解釈論()と国際人権法をリンクさせることを思いつき、このリンクによって、国際人権法が国内の司法の世界に正面玄関から堂々と登場できるのではないかと、気がつきました。このとき、私は自分が正真正銘の法律家の仕事をしているのではないかという実感に襲われました。こんな実感は生まれて初めての経験です。

人生の折り返し点の50歳のとき、ジェミリー・リフキンの「バイテクセンチュリー」を読み、 自分の後半生のライフワークが
バイオテクノロジーの世界にあることを発見しました(その当時のコメントは->こちら)。というのは、バイオテクノロジーは、それまでの人類の科学技術のすべてを集大成をしたものであり、このバイオテクノロジーを学ぶことによって、現代の科学技術が私たちにもたらす巨大な光(便益)と影(惨禍)の問題に立ち向うことができると思ったからです(しかし、この計画は311で挫折しました[その顛末については->こちら])。

それから20年後の今年、福島原発事故と国際人権法がリンクした時、自分が法律家になった理由が初めて分かった気がして、それまでチンケな条文の解釈技術としてバカにしていた法律解釈というものが、その原点に立ち返って探求することにより、実は「深い愛」に裏付けられた偉大な取り組みであることを発見しました。

そして、この主張書面を完成したとき、私にとって、これは法律家として未成年からなんとか成年になった成人式の瞬間でした。

以上、新米法律家誕生の挨拶でした。

追伸
以下は、新米法律家として、311後の法体系の法解釈のあり方について、最初にまとまった形で述べた報告です。
市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の第4回総会の第2部「1年を振り返って『311から10年経過した今なぜ、チェルノブイリ法日本版なのか? →311後の真空地帯と理不尽が続く限り、抵抗権の行使としてのチェルノブイリ法日本版は存在することをやめない』」(2021.7.24)

29歳の若き我妻栄は、解釈の方法論を論じた論文「私法の方法論に関する一考察」の最後で、カントの「純粋理性批判」中の有名な言葉をもじって次のように締めくくった。
 法律学は、
「実現すべき理想の攻究」を伴わざる限り盲目であり、
「法律中心の実有的攻究」を伴わざる限り空虚であり、
「法律的構成」を伴わざる限り無力である。

20年前、リスク評価の新米学生として遺伝子組み換えイネの問題に挑戦しましたが、今度は、法解釈の新米法律家として、法解釈というレールに乗せて国際人権法による国内法(それは実体法にとどまらず、民事訴訟法、行政裁量などすべての領域に及ぶ)の再発見に挑戦したいと思います。