世の中には「解き方」を間違えたために、どうしても解けない問題がある。数学史の有名な出来事として5次方程式の解法。
「解き方」を間違えたという、この数学研究の迷妄の歴史をここで想起しておくことは価値あることである。
この「創作性」をめぐる著作権の躓きの石がこの2つの事件の背景になっているらしい。私はかつての著作権紛争の解決の経験から、この難問が当事者間の関係をものすごく悩ませ、困惑させることをいやというほど経験してきたから、この2つの事件の背景についても或る程度、想像がつく気がした。
しかし私を驚かせたのはそのことではない。
私が考え込んでしまったのは、この問題はずっと前からくり返し起きている著作権現場のありふれた問題(ただし、他の知的財産権の紛争に比べ、愛憎むき出しの圧倒的にドロドロ系の問題となることが多い)なのに、にもかかわらず、なぜ、この種の問題が40年以上もの間ちっとも改善されず、むしろ近年では、当事者間の関係がこじれにこじれて行って、最後は殺すかさもなければ自死するかまで追い詰められてしまうのか、だった。
かつて、この難問の解決を著作権の世界の中でだけ考えていた私は、この問題がこじれるのは関係者に著作権の正しい理解が足りないからだ、だからこれをもっと啓蒙する必要があると思っていた。しかし、それはちがうのではないかと、ここ20年、著作権から離れ、311福島原発事故の社会問題に首を突っ込む中で、再び別の視点でこの著作権問題を見直したとき、自分の問題の解き方が(完全に間違っていたわけではないが)決定的なことが足りなかったと気づくに到った。
それを一言で言ってしまえば、かつて、力を持ったテレビ局や出版社などはこの著作権問題をもっぱら「政治的に解決」することしか頭になかった。そのため、力のない、弱い立場の作家や個人は蹴散らされ、無視された。その結果、こじれた先で弱者は自暴自棄に追い込まれる。その構造は今も何も変わっていないのではないか。いくら著作権の正しい理解の啓蒙を叫んでも、それは基本的に「政治的に解決」することしか頭にない連中にとっては馬の耳に念仏である。彼等の本音は、著作権の正しい理解なんてウザイ、しち面倒くさいだけ(そう思わせる根本にあるのは、著作権法制度とはその出自からして、著作権ビジネスで儲けを企む連中(企業)の経済秩序維持のためにあるのであって、著作者、実演者は所詮、そのための道具・脇役にすぎないというシステムにあるからだ)。
私自身もまた、啓蒙することに倦み、疲れて、著作権ムラから足を洗った。しかしなお、そこには何か決定的に足りないものがあったのではないか、と今思い直すようになった。それが人権。しかし、それはときとして、手垢にまみれた実にうさんくさい言葉でもある(※1)。
20年前まで、私はずっと著作権問題を著作権法の枠組みの中で考えて来た。しかし今、それでは決定的な何かが足りない、著作権問題を正しく解くためには、人権(憲法)の導入が不可欠ではないのかと思うようになった。
というのは、著作権問題を力の強い者が「政治的に解決」するするとき、それは相手を自分の目的達成のための手段としか考えていない。著作権法はその「政治的解決」に奉仕するツールでしかない。しかし、それは根本的にダメなのではないか。それこそが著作権問題がこじれる最大の原因になっているからだ。
著作権問題を真に解決するためには「相手を手段としてのみならず同時に目的として扱え」(カント)という姿勢が不可欠ではないか。だが、そのような発想は著作権法にはない。それがあるのが人権(憲法)である。そもそも著作権法と人権(憲法)とでは発想がぜんぜんちがう。著作権法は権利者と利用者もしくは無権利者が「対立」する関係からスタートして作られている。これに対し人権(憲法)の発想は「自分を愛するのと同じように他人を愛せ」である。自分の人権を最高の価値あるものと認めるが、同時に他人の人権も自分に劣らず最高の価値あるものと認める。その結果、全ての人の人権をひとしく保障、尊重することになる。人権は自分の人権と他人の人権の間に優劣をつけることを許さないから、人権の原理的な帰結は「共存」である。そこには「対立」が原理的にない。
だから、人権の見地からはイスラエルとパレスチナも「共存」するほかない。この「共存」の関係からスタートして人権の体系は作られる。以上のように、著作権法と人権は根本的に異なる。人権(憲法)からはすべての人に対するリスペクト(尊重)が論理必然的に生まれるが、著作権法はそうはいかない。そして、著作権法では自由(競争)の名のもとに力の強い者が政治的に物事を解決することを容認する。他方、人権では、たとえ強い者が政治的に物事を解決しようとしても、他人の人権侵害となる限りそれは許されない(その近時の実例が旧優生保護法を違憲と判断した7月3日最高裁大法廷判決>BBCニュース)。
とはいえ、人権の導入は「言うは易き、行い難し」だ。政府も一般論としては人権を美しい言葉でいくらでも強調するが、ひとたび人権がアクチュアルなものとして、現実を規制する生きた原理として作用し始めると、政府は途端に貝のように硬く口を閉ざし、「見ざる、言わざる、聞かざる」に変身する(原発事故の自主避難者の仮設住宅からの追出し問題が近時の典型例だ)。
人権を生きた現実を決定する生きた原理として導入することが最も必要であり、なおかつそれが最も困難なことでもある。だが、それをしない限り、
著作権問題が今まで通り、政治的に解決される限り、また、第2の京アニ放火殺人事件や漫画家の自死が必ずくり返される。こうした悲劇の反復にトドメを刺すためには、 政治的に解決される著作権問題の世界に何としてでも人権を導入するしかない。ただし、それは一気に導入できるようなものではなく、一歩ずつジワジワと導入するしかない、漸進的な取組みである。その意味で、これは丸山真男が喝破したように永久革命と呼ぶほかない漸進運動である。
同時に、人権による解き方は実は著作権の難問だけに限らない。私たちが今生きているこの世界の様々な難問(それらは基本的にもっぱら政治的に解決されようとしている)を解く、恐らく殆ど唯一の正しい解き方に思える(※2)。この意味で、著作権の難問を人権によって正しく解こうとする人は、同時に、世界が今直面している全ての難問を正しく解く「最初の一歩」を踏み出した人である。著作権問題は著作権ムラの単なるローカルな問題ではなく、普遍的な意義を持つ問題として私たちの前にある。
(追記)
法治国家から放置国家に転落した、311後の日本社会のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するために一歩前に出る運動、それは問題を「政治的に解く」のではなく、「人権として解く」ことによってのみ可能である。そのことを説いたブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」が5月25日出版された。
(※1)「人が人として、社会の中で、自由に考え、自由に行動し、幸福に暮らせる権利」(秦野市役所のHP)。これだと米国前大統領トランプの言動もイスラエル首相ネタニヤフの言動も人権を行使しているようにみえる。ことによると、ヒトラーすら人権を行使していただけだと思えてくる。
(※2)例えば、今年元旦の能登半島地震のあと、原発銀座の福井で署名行動を起こした以下の事例は、人権で原発の問題を解こうとする挑戦である。
(※3)30年前の記者会見での「漫画家の人たちへの報告」(1994.7.1)
(日本経済新聞1994年7月2日朝刊)
1、記者会見の日時・場所
本日午後3時より、司法記者クラブにて。
出席者:辻なおき本人の外、いがらしゆみこ、石ノ森章太郎、上田トシコ、
ちばてつや、水島新司、水野英子の各氏
2、著作権の画期的な仮処分決定
本日1日(金)、東京地裁民事29部より、昨年5月21日に申立をした漫画 「タイガーマスク」の無断続編作成の禁止を求める仮処分事件に対して、1年余りの審理の末、出版差
止の決定が出ました。
この決定は、漫画「タイガーマスク」の無断続編作成及び 出版行為を著作権侵害と認めたもので、わが国で、名作漫画などの無断続編作成
行為が著作権侵害となるか否かについての初の司法判断ということになります。
また同時に、キャラクターの著作権保護という点においても、これまで「サザエ さん」事件や「ポパイ」事件のように、たんなる1枚の漫画の利用をめぐるもの
でしかなかったのに対し、今回は、続編という1つの作品全体の利用をめぐって 著作権侵害が認められたという意味でも、画期的な意義を有するものです。
加えて、昨今、名作漫画の続編を漫画はもとより、小説や映画やファミコンな どによって無断で作成する悪質なケースが増えており、漫画家の著作権が侵害さ
れる問題が深刻化しています。それだけに、この「タイガーマスク」事件は漫画 界全体が大きな関心を寄せてきた事件であり、漫画界は本仮処分決定をバネにし
て、この種の悪質な無断続編作成行為を根絶していくものと思われます。
そこで、本日の記者会見には、「タイガーマスク」事件に深い関心と協力を寄 せてこられた、わが国を代表される漫画家の方々(いがらしゆみこ、石ノ森章太
郎、上田トシコ、ちばてつや、水島新司、水野英子の各氏)が出席され、今回の 重大な著作権侵害行為と裁判所の司法判断に対する見解を表明してもらう予定で
す。
3、「タイガーマスク」事件の事実経過
昨年3月11日に、ユニオンプレスという会社から、「タイガー・マスク」を 出版している講談社宛てに1枚のFAXが流されました。それは、故梶原一騎氏
の7回忌記念事業として「タイガー・マスク」「あしたのジョー」「愛と誠」の 続編を作成する予定であり、第1弾として「タイガー・マスク」の続編を翌4月
5日から故梶原一騎氏の実弟真樹日佐夫氏原作で東京スポーツに連載するという ものでした。
さっそく講談社より、原作者故梶原一騎氏の著作権継承者と漫画家辻なおき氏 に連絡を入れたところ、両者とも「タイガー・マスク」の続編制作には絶対反対
ということでしたので、その旨ユニオンプレスに伝えました。にもかかわらず、 同社は連載の6日前になってはじめて辻氏に電話を入れ、続編制作の許諾を申し
入れましたが、辻氏に拒絶されるや、これを無視してそのまま予告通り4月5日 から続編「タイガー・マスクTHE STAR」を開始したのです。
そこで、実際に連載された「タイガー・マスクTHE STAR」を検討して、これが 紛れもなく「タイガー・マスク」の人気にあやかってただ乗りした続編にほかな
らないことを確信した辻氏は直ちにユニオンプレスとこれを連載した東京スポー ツに対し、直ちに連載を中止するように抗議文を送りました。しかし、先方から
何の連絡もなく、完全に無視されました。そこでやむなく、5月21日、続編の 連載中止を求めて東京地方裁判所に仮処分の裁判を起こしたのです。
本裁判における争点は、ただひとつ、相手方が制作した「タイガー・マスク THE STAR」が「タイガー・マスク」の著作権を侵害するものかどうか、という点
でした。
この点につき、相手方の主張のポイントは、次の通りでした。
1.「タイガー・マスクTHE STAR」のキャラクターの絵柄もストーリーも「タイガ ー・マスク」とは異なるから、「タイガー・マスク」の著作権を侵害すること
にはならない。
2.従って、「タイガー・マスクTHE STAR」は「タイガー・マスク」の著作権者の 意思とは関係なく、完全に自由に制作できる。
3.従って、辻氏に連絡を入れたのも単なる道義的な事柄にすぎず、辻氏が反対し ようがこれに拘束されることは全くない。
これに対し、辻氏の反論のポイントは、次の通りでした。
1.「タイガー・マスク」とキャラクターの絵柄もストーリーも同じ漫画、すな わち海賊版が許されないことは今更言うまでもないが、しかし、たとえストー
リーが変えてあっても、主人公のキャラクターの特徴を真似て、なおかつその 続編であることをうたい文句にして宣伝しているような漫画も、やはり「タイ
ガー・マスク」の著作権を侵害することになる。
本件において、「タイガー・マスクTHE STAR」は、その主人公が「タイガー・ マスク」の主人公のキャラクターの特徴を真似ていることは一見して明らかで
あり、相手方が「タイガー・マスク」の人気にあやかってその続編であること をうたい文句にして宣伝していることも明らかである。従って、「タイガー・
マスク」の著作権を侵害していると言わざるを得ない。
2.従って、「タイガー・マスクTHE STAR」は「タイガー・マスク」の著作権者の 許諾を得ないで、勝手に制作することはできない。
3.従って、辻氏が反対しているのにこれを無視して制作をすることは著作権侵害 の責任を免れない。
ところで、本件が漫画のキャラクターをめぐる、全く新しい裁判であることか ら(これまでの裁判例はいずれも、「サザエさん」事件のように、1枚の絵の利
用という漫画のキャラクターの単純な複製・コピーが争われたものばかりで、本 件のように漫画のキャラクターの特徴を真似て、いわば続編を作成するという1
個の作品全体の著作権侵害が争われるというケースはなかったのです)、裁判所 は慎重な上に慎重な審理を行ない、当事者双方に可能な限りの主張・立証を尽く
させ、1年1ケ月の審理を経て、ようやく本日の決定となったのです。
4、本決定の内容
当初、辻氏は「タイガー・マスクTHE STAR」の連載中止を求めて、原作者 や東京スポーツを訴えましたが、裁判所の審理が予想外に長引いたため、その
間に本年4月に「タイガー・マスクTHE STAR」の連載が終了してしまいました。 そのため、本仮処分の決定としては、現在、「タイガー・マスクTHE
STAR」の単 行本を出版している出版社ユニオンプレスに対してのみ、出版の差止を認めると いう形になりました。しかし、これはもちろん「タイガー・マスクTHE
STAR」の 作成行為が著作権侵害に該当するということを前提としたものです。その意味 で、裁判所は、辻氏の言い分を100%認める判断を出したものです。
5、本決定の意義
今回のように、1枚の漫画をめぐって著作権侵害が争われるという単純なケー スではなく、1個の作品全体をめぐって、しかも元の作品と絵柄もちがえば、ス
トーリーもちがうような作品全体をめぐって著作権侵害が真正面から争われた難 しいケースはわが国では初めてであり(そのためむろん、これを論じたまともな
文献さえない状況であり)、その意味でも、これを著作権侵害と認めた今回の司 法判断はわが国では画期的なものになると思われます。
ただ、本決定の法的評価をめぐっては、今後なお議論を重ねていく必要がある ところですが、辻代理人としては、今回の相手方の無断利用行為の特色が、いわ
ば「タイガー・マスク」の主人公の人気キャラクターの翻案的利用(つまり、漫 画のキャラクターの単純な複製・コピーではなく、漫画のキャラクターの特徴部
分を真似て続編を作成したもの)という点にあるという立場から、相手方の行為 は複製権侵害ではなく、ズバリ翻案権侵害であると本裁判において一貫して主張
してき、裁判所もこれを認めてくれたものと理解しています。
6、今後への影響
わが国の漫画のキャラクターの著作権保護の問題も、今や外国並みに「サザ エさん」事件や「ポパイ」事件のように、単純な1枚の漫画の利用をめぐるもの
から、無断続編作成行為といった、1個の作品全体の利用をめぐるものへと次元 が広がってきています。現に、昨今、名作漫画の続編を無断で漫画化するケース
はもとより、小説や映画やファミコンなどによって作成する悪質なケースが増え ており、新たな深刻な問題となっています。
今回の決定は、こうしたキャラクター利用の新しい現象に対し、著作権法の法 規範をはじめて明確に打ち出したという意味で、極めて重要な意義を持つもので
あります。それゆえ、今回の重要な決定が、今後、このような悪質なケースを根 絶するための警鐘・規範となることを願って止みません。