2015年7月31日金曜日

2015年度映画大学集中講義のレジメ2:著作権法の現在と未来(2015.7.23)



21世紀の著作権法とは何か?その未来はどこにあるか?

2015年7月23日

レジメ→ワード版



1、イデオロギーとは 法律とは
(1)、イデオロギー
 政治や社会のあるべき姿についての理念の体系(知恵蔵2015)。
       ↑
(柄谷行人)

一見して誰も反対できないような普遍的な言説のこと
普遍的な言説に対しては、何(What)が語られているかではなく、誰(Who)が語っているのかを読むことが肝心。

∵ 単に彼らの利害にすぎないものをあたかも普遍的なものとして表明したのがイデオロギーにほかならないから。
 
(2)、法律
 法律はイデオロギーの典型。そこでは、常に誰かの利害でしかないことが普遍的な言葉で語られている。
著作権法とは、著作権ビジネスの覇者である産業資本家の利害を普遍的な言葉(コンテンツを創作した著作者・実演家を保護し、芸術・文化を育成する)を使って擁護したもの。

2、著作権法の「市民革命」とその条件
 著作権法は、情報資本主義が本格化した1980年代から毎年盛り沢山、華々しく法律改正をくり返してきた。しかし、その内実は著作権法の原型ができた1710年のイギリスのアン法以来、300年間本質的には何の進歩・変容もない。変わったように見えるのは新しいテクノロジーの出現だけである。
 著作権法の本音は著作権ビジネスの産業資本家たちの利害を守ること、つまり彼らの望む産業経済秩序を維持することにあるのだから、技術革新により新しい複製技術が出現し、それが新しい著作権ビジネスの経済秩序を形成する時、この新しいテクノロジーを用いた経済秩序の維持のために著作権法の改正が次々と実施されるのは当り前のこと、それは退屈ですらある(おまけに、ただでさえ悪文の著作権法がますます分かりづらくなる)。
 例えば、複製技術として、音楽でレコードと蓄音機が発明され[1]、映画でフィルムと映写機が発明され、新しい音楽産業、映画産業が出現したとき、無断複製(海賊版)による音楽産業、映画産業の賭場荒らしを防ぐ(産業秩序維持の)ために、レコードや映画の無断複製を取り締まる法律を作る必要が生じる。ただそれだけのこと。
しかし、著作権法の本当の進歩、恐るべき変容はそんな華々しいところにはない。

 著作権法の真に革新的な進歩・変容とは、著作権法の表向きの目的(著作者・実演家を保護し、芸術・文化を育成)、表向きの主役(著作者・実演家)、表向きの性格(人権擁護)を、名実共に著作権法の目的、主役、性格に転換してしまうような進歩・変容のことである。

 これは著作権法がこの世に誕生して以来三百年の間一度もなかったような進歩・変容である。いわば「著作権法の市民革命」である。この市民革命はいかにして可能なのか。

そのためには、
第1に、客観的(物質的、経済的)条件である「目標に相応しい経済システムの出現」
第2に、主体的条件である「目標に相応しい理念・アイデア・人の出現」[2]
の2つの条件が必要。
このうち、第1の条件は既に実現した、インターネットというシステムの出現によって。
 30年前、グーテンベルグの活版印刷術の出現を上回る、世界史上未曾有の画期的な出来事、インターネットの出現[3]である。これが「著作権法の市民革命」を促す物質的条件をもたらした。これがいかなる意味で画期的で、市民革命の物質的条件なのか。

 それはコンテンツ(著作物)の生産・流通過程にコペルニクス的転回をもたらしたから。

 従来、著作権ビジネスは、コンテンツを制作する著作者とこれを利用する一般ユーザーとの間に、コンテンツを複製・頒布する業者が介在し、彼らの存在なしにはコンテンツを広く世に提供することは不可能だった。なぜなら、コンテンツの生産・流通(複製・頒布)のためには、多額の資金と組織が必要であって、それは個人の著作者の手に余ることであったから。

 実は、(今から思えば)こうしたシステムに支えられて、著作者と一般ユーザーとの間に介在して、コンテンツの流通を支配する出版社、レコード会社、映画会社、テレビ局などの企業が著作権法の主役として活躍し得たのである。つまり、真ん中に主役を置いて、コンテンツが著作者から主役を通して一般ユーザーに流通するという構造、これが著作権法がこれまでずっと前提にしてきた基本構造だった。
  

 その後、テクノロジーの進歩に伴って、家庭内録音・録画の機器が普及し、かつてはあり得なかった一般ユーザーレベルにおける広範な私的複製が一時期大問題となったが、しかしこれによっても、この基本構造自体が揺らぐことはなかった。
 
 ところが、変化は全く思いがけないところからやってきた。それが元々軍用目的で始まったインターネットというテクノロジーである。

 このテクノロジーが画期的なのは、これまでコンテンツを世に流通させるためには、「資金と組織を擁する企業の介在」が不可欠であったのに対し、インターネットの活用によって、著作者は、個人として、コンテンツを広く一般ユーザーに直接提供することが可能になった。この新しいシステムの出現に伴って、これまでコンテンツの流通に介在し威張っていた企業は理論上は粗大ゴミのごとき無用の存在に転落する。それはまた、同時に、これまでの著作権法が大前提にしていた基本構造を根底から破壊するものであった。その結果、著作権法の目的・本質、主役、性格などに決定的な変容を招来することになる。


 これが、この間の著作権法の改正では全く捉え切れない、日夜じわじわと浸透している著作権法の本質的な進歩、恐るべき変容を実現するための物質的条件である。

 以上から、インターネットの時代は、創造的なコンテンツ(著作物・実演)を制作できる優秀な個人の著作者・実演家が制作と流通を自らコントロールすることを可能にする時代である。つまり個人が主役になれる時代である。その物質的基盤はそろった。残るは、第2の主体的条件「目標に相応しい理念・アイデア・人の出現」である。
インターネットの画期的な物質的基盤を前提にして、今後、著作権法の目標は、
(1)、主役は、名実共に、個人としての著作者・実演家であり、
(2)、性格は、名実共に、個人法=著作者という個人を保護するための法であり、
(3)、目的は、名実共に、個人としての著作者・実演家の権利を擁護するためのもの。

 この目標に相応しい理念とは「創作・実演により現実に価値を生み出した個人にその創作活動・実演活動に相応しい権利と自由を保障せよ!」である。
この個人の権利保障という理念の復興・再生という意味で、インターネット時代こそ著作権法ルネサンスと呼ぶに相応しい。


3、著作権法の市民革命の主体的条件の具体化(アイデアと人)
 主体的条件である「目標に相応しい理念」を、さらにアイデア・人のレベルにおいて具体化する必要がある。
この理念に基づいて著作者(クリエーター)・実演家(アーティスト)が始める取り組みは「新しい芸術運動」である。それはもちろんコンテンツ(著作物・実演)の質における新しさをめざすものであるが、それと同時に、コンテンツ(著作物・実演)の制作・流通のシステムを過去のものから根底的に変革することをめざすものであって、その点において不撓不屈の開拓者であることがこの取り組みの成否を握る重要な鍵となる。

参考実例
◆海賊党
(1) もともとインターネットは情報の共有のためのもの。情報の独占をめざす著作権・特許と衝突・対立するのは必然。最終的には、情報の共有と独占をどう調整するかという問題。  インターネットが生み出した第三身分とは何か=エンドユーザの登場。


(2)、歴史
 2005年、スウェーデンは、インターネットを通じてソフトウェアや映画などをファイル共有することが違法とする法律が制定。その結果、100万人のファイル共有者たちは犯罪者扱いとなった。これに反発した若者たちがファイル共有の合法化を公約とする海賊党を結党。                              スウェーデン海賊党旗
スウェーデン海賊党の活動に鼓舞され、瞬く間に40カ国以上の国々で海賊党が結党。
海賊党による国際組織海賊党インターナショナルも組織。2009年6月の欧州議会議員選挙で、海賊党は1議席を獲得。
            ドイツ海賊党旗



メンバーはインターネットを使いこなす30歳前後の若者が中心。

(3)、主張
著作権法:
①「正直者の寝室(プライベートな空間)に忍び込むな」→ファイル共有の完全合法化・無料化。
②「著作権の保護期間が長すぎる(死後50年・70年)」→5年で十分。
特許法→廃止。
∵製薬業界の研究開発の3分の2が、新薬開発ではなく、ライバル企業の特許を回避するための。もし特許法がなければ、これを本来の新薬開発に充てるか、薬代を安くできる。
参考:海賊党党首に聞く
動画(活躍!ドイツ海賊党 ~ネット世代の政治のゆくえ~
スェーデン海賊党→ウィキペディアの解説

ドイツ海賊党→ウィキペデディアの解説 
書籍 浜本隆志「海賊党の思想: フリーダウンロードと液体民主主義」(2013.6.25)
       液体民主主義について

 

◆映画:新藤兼人 彼の起業の検討 詳細→こちら


◆出版:批評空間社
【設立の動機】
 資本制経済において、著作権ビジネスは、他者(著作者・実演家)は利潤追求のためのたんなる手段としてしか扱われない。これに対し、批評空間社は他者を「手段としてのみならず、目的(自由な主体)として扱う」(カント)ことを目指し、生産にかかわる者が皆で出資して組織を立ち上げ、組合内においては、各人がその出資額にかかわりなく、平等な経営議決権をもって、組合事業を運営しようとした。これが協同労働・協同経営、つまり生産協同組合の基本理念といわれるもの。

【協同労働・協同経営の追求】
 ただし、日本の法律制度はこの理念を明文化していない。そこで、問題は、「自由で平等な生産者たちのアソシエーション(協同労働・協同経営)」を正面から認めていない現在の法律制度の中でいかに具体化していくか。

 この自由平等の理念は、次の2つの面において確保されなければならない。

α.組織内部における自由平等

その最低限の要請として、生産者たち同士は、組合への出資額の多少に拘らず、組合の運営について全て平等な議決権を有すること(一人一票の議決権)。

β.組織の外部に対する自主独立
生産者たちは、組合の外部との関係でも、組合への出資者(出資者は生産に従事するわけではなく、その意味で「協同生産者」でない)に対し、自らの運営決定権を失って彼らの支配の下に置かれるようなことがない。

5人の協同生産者と資金提供者として金融機関・映画会社・テレビ局・広告代理店

  


αは実現。しかし、βは、銀行に生産者A・B‥‥の個人財産を担保に提供させられたり、毎月の返済に追われて自転車操業を強いられる.。或いは作品の著作権は全て資金提供者の手に渡り、そのため、たとえその作品が大ヒットしても著作者たちの元には利益が何も還元されない。まさに「他者を手段としてのみ扱う」関係に追い込まれる。

5人の協同生産者と5人の資金援助者
   全員が株式会社の株主となる場合


βは、株式会社という資本主義が生み出した最大の魔法(金融機関とちがって出資した資金を出資者に返済しなくてよい)が活用でき、毎月の返済に追われることがない反面、
αは、一千万円の資金援助者Pは協同生産者でもないのに会社の共同所有者と認められてしまい、一人で全議決権の3分の1を保有。50万円を出資した協同生産者AやBの20倍の議決権を持つ。これでは協同組合の原則である協同生産者の「一人一票の議決権」から大きく逸脱し、協同生産者は会社の運営決定権を失う恐れがある。さらに、協同生産者同士の間でも議決権に不平等が生じる。

これらの課題を全て解決して初めて「自由で平等な生産者たちのアソシエーション(協同労働・協同経営)」が実現。

①.協同生産者は日々返済に追われることもない、
②.自らの運営決定権を失うこともない、
③.作品に対する支配権(著作権)を失うこともない
 さらにもう1つ、
④.今回の資金援助者は批評空間社の経営に共鳴した市民であり、彼らを危険な立場に置く事態は回避する必要があった。つまり、彼らに無限責任(もし経営が失敗した場合には、単に出資額にとどまらず、彼らの全個人財産までその借金の支払にあてられる)を負わせるうことはできない、出資額の限度でしか責任を負わない(有限責任)でなくてはならない。
そのため、彼らに「生産協同組合としての民法上の組合」に参加し出資してもらうことや、「投資組合としての民法上の組合」に参加し出資してもらうことは、彼らに無限責任を負わせることであり
[4]、そのやり方は採用できなかった。


そこで、現在の法律制度の下で、以上の4つの要請を全て満たすアイデアがあるだろうか――これが批評空間社が直面し解決しなければならない課題だった。

解決のカギは「投資」にあった。つまりカギは「(生産者の運営決定権を失う)投資」にはなく、同時に「(生産者の運営決定権を失わない)投資」にしかなかった。それは、批評空間社が批評空間社に投資すること、つまり、批評空間社に投資するための組織(投資組合)を批評空間社自らのイニシアチブで作り上げることによってのみ可能だった。
予定の出資額(Aは100万円、Bは150万円、Cは200万円、Dは250万円、Eは300万円)のうち、全員が10株50万円分ずつ株式会社の株を保有することにする。残りの出資額(Aは50万円、Bは100万円、Cは150万円、Dは200万円、Eは250万円)は、資金援助者の人たちと一緒に、有限投資組合に出資する。この有限投資組合から批評空間社に出資する。


株式会社

以上により、
αは、生産者全員が発起人になって同数(10株分=50万円)の株式を引き受けて株式会社を設立し、生産者以外には上記有限投資組合が唯一の株式引受人となり、
βは、批評空間社主導の有限投資組合を設立し、そこに、生産者全員の各自10株分を引いた出資金と有志の人たちの出資金全額を出資することにより、
α(組織内部における自由平等)とβ(組織の外部に対する自主独立)の両方の問題を解決した。
 つまり、批評空間投資組合(資金調達のための組織)と株式会社批評空間社(生産活動のための組織)の総体を、生産協同組合としての批評空間社と考えた。


設立手続の年表
2000
1月上旬
批評空間社を生産協同組合の方式で立ち上げることを決定。
以後、具体的な形態を模索・検討に入る。

4月
本格的な法律の検討に入る。

6月
具体的な形態として、資金調達は投資事業有限責任組合、営業形態は
株式会社の案、ほぼ固まる。

10
投資事業有限責任組合の契約書案文の作成・検討。

10月中旬
発起人間で設立契約書(資金調達は有限責任組合、営業形態は株式
会社を内容とする)の調印。

10月末~
第三者に出資の依頼(年内いっぱい)

12月上旬
有限責任組合の銀行口座開設。以後、出資の振込開始。

1223
以後、出資者、順次 有限責任組合契約に署名捺印。

1229
株式会社批評空間の定款(案)作成。
2001
1月末
有限責任組合契約の署名捺印・出資ほぼ完了

2月2日
投資組合の登記申請

同月9日
同 登記完了

同月12
株式会社批評空間の設立手続の書面に署名捺印完了

同月19
株式会社批評空間の設立登記申請

同月23
同 登記完了
     
※参考文献 株式会社批評空間と批評空間投資事業有限責任組合の設立について

  

[1] http://www.riaj.or.jp/chronicle/
[2] なぜ主体的条件が必要か。著作権法が本質的に300年間ずっと停滞してきた原因の最大は理念の喪失にある。法律とは本来単なる技術でなく、あくまでも「或る理念に基づいて構成されたシステム」である。理念を喪失したため300年間停滞を続ける著作権法の現実から、逆説的に法律の正体を思い知らされる。理念を喪失したとき、法律は単なる「強者による現状肯定のイエスマン」に堕すから。
[3] ソニーの井出伸之社長曰く「大昔、隕石が恐竜を絶滅させた。インターネットは現在の産業社会に落ちた隕石だ」(2000年)
[4]民法上の組合は参加者に無限責任を負わせている。

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